団体紹介
1948年に発足した教育に関する研究を行う民間研究団体です。定期不定期に開催される研究に集い、教育に関する日々の悩みや喜びを語り合い、学校や地域での教育・子育ての活動を振り返り、旺盛な対話を重ねる場として活動しています。
日々営まれている教育と子育ての中にある「生活教育の理論と実践」を探究し
その発展をめざしています。
(詳しくはこちら)
生活教育5つの指標
子どもの生活現実を
見つめ、込められている願いや要求をつかむ
子どもの発達は人格
そのものの発達、知識と
生活・行動の統一を
地球人類がともに
生きつづける思想を
獲得する教育を
父母・教師・地域住民の力で
子どもの豊かな発達を
子どもたちの幸せのために、日本国憲法・旧教育基本法・「子どもの権利条約」の実現を
これまでの歩み
前史
生活教育への道
私たちが生活教育の思想的源流を探るとすると、少なくとも時を18世紀まで遡り、視野を近代ヨーロッパやアメリカに広げなければならない。私たちは生活教育の思想的源流をルソー(1712~78)に見出す。第一は教育の目的を「人間として生きること」に定めたこと、第二はその教育を歴史の中に位置付けて構想したことである。そして、実践的源流をペスタロッチ(1746~1829)に求めている。さらに、19世紀後半から欧米の諸国で顕著なっていた、「教師が一定の教材を教え込む」学校を改革する教育改革運動で、アメリカで大きな役割を果たしてきたデユーイ(1859~1952)から、「生きることと学ぶことの統一」を学んでいる。
1945年のわが国の敗戦は、この国の社会・文化、そして人々の暮らしに劇的な変化をもたらした。人々、子どもたちは疲れていたが心底暗くはなかった。彼らの上には青空があった。新たな未来があった。当時の教師たちはそう信じた。これまで身にまとっていた権威を捨て、何よりも子どもたちの生活の現実を直接見据え、そこから、あるべき教育のあり方を探ろうとした。
1947年には教育基本法、学校教育法が制定され、6・3制の新学制がスタートした。わが国と学校に、大きな改革の波が訪れた。教育課程を固定した枠にはめず、学校と教師たちの自由な創意によって創り出すことが求められた。こうしたカリキュラム改造のうねりの中で、1948年、コア・カリキュラム連盟が結成された。
戦後
「新教育」の展開と
コア・カリキュラム連盟
1953
現実を直視した教育の創造
「日本生活教育連盟」への
改称
1953年、コア・カリキュラム連盟から日本生活教育連盟へと改称した。コア連を中心としたカリキュラムの自主編成をめざす運動は、内外のコア・カリキュラム批判を主体的に受けながら前進した。梅根悟(第二代委員長)は「生活教育というわれわれの主張する教育原理が政治的圧力のもとに、押し殺されようとしているこの危機に当たってわれわれは思いを新たにして『生活教育』の旗がしらをはっきり誌名にかかげて前進したい」と述べた。
1960s-
地域に根ざす教育の創造
「地域に根ざす教育」を
求めて
1960年代後半から70年代、日生連の研究を特徴づけたキーコンセプトは「地域」であった。川合章(第五代委員長)は「地域現実に根ざした教育」を単に教育技術の問題としてだけでなく、地域において大衆の要求をほりおこし、それを結集していくという大衆路線の一環として教育の問題をとらえ直していくという、教育の認識の変更を求めた。鈴木孝雄学級の実践記録『学級文化活動と集団づくりー学級新聞「ブタとアヒル」の物語』は大きな反響をひき起こした。
1970s-
子どもの全体的発達を
めざして
「民主的人格の形成」
1970年代、戦後の教育改革が掲げてきた理念を「民主的な人格の形成」として、その内実を学校や地域で追究することとなった。「子どもを全体として、しかも着実に発達させる教育のあり方」を追究した。文部省による教育内容への統制を撤廃させるたたかいに向けて広い結集を勝ちとっていくためにも、私たち自身が守り抜くに値する教育実践の姿を具体的に描き出せるようにならなければならない。川合章は生活教育に「原則を明確に!実践を多様に!」の論文(1966年1月号)を発表した。
1970
後半-
子どもが生きる学校づくり
「学ぶ力と生きる力」
1970年代後半から80年代初頭にかけて全国に吹き荒れた少年非行の嵐は「戦後第三の非行のピーク」といわれ、大きな教育問題として世論をにぎわした。1980年代の日生連運動において多くの会員の間で共有された問題意識は、こども青年の人間発達をめぐる困難な状況の中で、かれらが人間らしい生活と文化に開かれた主体として育つ筋道の探究であった。川合章は、本来の生活を取り戻しの上に成り立つ学習論を積極的に提起していった。その特徴は、再三にわたり「内容と方法の統一」という原則を強調したことにあった。人間的な生活の取り戻しと、そのうえにとりくまれた豊かな学力の保障をめざした「生きる意欲と学ぶ力」を育てる教育実践に取り組んだ。こうした実践の蓄積を基に、1988年、日生連は『子どもの生活をひらく教育(40年史)』を発刊した。
1990s-
自立と共生への道
「学びの改革」
1990年代に入り、各方面から「学習観」の転換、「授業観」の転換の必要性が叫ばれてきた。日生連は、子どもたちの立場に立ち、「学びの改革」をめざした。その改革は、「『自分づくり』の学習」「『問い』を発展させる学習」「『自然な学び』のある教室」の三つの視点から進められた。詰込みと競争の教育のもとで、学習と生活が遊離し「何のために学ぶのか」が見えなくなり、その結果、子どもたちは学校文化に背を向け始めている。「学びの改革」を考えた、今求められているのは、子どもたちの不安と学習要求に応える「ひとまとまりの教育=総合学習」であるとし、21世紀に向けた課題意識を固めている。1998年、日生連は、『日本の生活教育50年(50年史)』を発刊した。同時に21世紀に向かって『生活教育五つの指標』を発表し、それに基づく豊かな理論と実践を発展させていくことを宣言した。
2000s-
つながりが生んだ
本物の学び
「総合学習」
20~21世紀にかけて文部省が「生活科」、「総合的な学習の時間」を新設すると、”ゆとり教育”批判、”学力低下論”が世論の焦点となった。政府・文部(科)省は、これを梃子に、習熟度別学習、学力悉皆テストを実施し、1947教育基本法を改悪した。学力低下批判は、今では根拠のないものであったことが明らかにされている。当時、日生連では、子どもの不安と学習要求に応える教育が焦点となった。「困った子は困っている子」という子どものとらえ方が共有され、子ども・親と教師がつながる実践に取り組んだ。また、「学力低下論」に対しては「子どもの問いを発展させる学習」を対峙させ、文部(科)省とは似て非なる真の「総合学習」の実践を進めた。モノ・コト・人とつながり、子どもに生ずる問いから発展する本物の学びの展開である。『あっ!こんな教育もあるんだ』(2006年・新評論刊)と『いのち輝くーつながりが生んだ本物の学び』(2008年60周年記念出版)は、子どもたちの学ぶ力・意欲と教師の実践的力量を示すエビデンスである。
2010s-
希望をつむぐ教育
人間の育ちとくらしを
問い直す
「人とつながり希望をつむぐ」という”こどば”をこれほどまでに実感をもって語り、聞き、共有した時代があっただろうか。2011年3月11日の東日本大震災は、地震・津波・原発の爆発という天災と人災の二重災害によって、人々の生活基盤が壊滅的に破壊された。「地域に根ざした教育」に改めて焦点が当たり、教育のあり方の”根本的見直し”が求められた。人間らしい暮らしと生き方の復興の視点に立つ子ども観、学力観、学校観の転換が求められた。日生連は、子どもと子ども、子どもと教師、子どもと地域、学校と家庭・地域、さらに被災地と日本の各地、世界の人々とのつながることの意義を鮮明にし、人と人とのつながりで希望がつむがれること確かめてきた。「人とつながり希望をつむぐ教育」こそ、日本の教育に求められていると主張した。日生連は、日本各地で生み出された実践と理論を『希望をつむぐ教育ー人間といのちを問い直す』(2018年70周年記念誌)にまとめ発刊した。
そして、現在、2020年からのコロナ禍のもとで、「学びのリアリティー」に立脚した実践を大切にした「希望をつむぐー人間の育ちと暮らしを問い直す教育」の創造に挑戦している。
役員
日生連の全国役員の一部の紹介です。各サークルの役員はこれと別に設置されています。