行田委員長のまちかど通信 3
- lisahorie
- 5月26日
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女子高生が父親の暴力についてチャットGPTに相談したら父親が逮捕された出来事をどう受け止めているか」とチャットGPTに聞いてみた。
アンサーは、
「1.人が孤立し、家族・学校・地域・友達に言えずAIに最初に話す人が増えている」。「2.相談先が増えること自体には価値がある」。
ただし、AIには限界もある。AIは感情を持たず、状況の誤認、文脈の理解不足、法的判断の不可などがあるため、「最終判断は人間の支援者が担う必要がある」と答えた。
そこで重ねて「AIには責任がないということでしょうか」と聞いてみた。
「AIそのものは、法律上の人間のような人格や刑事責任主体ではない」が、「AIには一切責任がないとも言いにくい部分がある。
「AIをどう設計し、運営したのかという運営側の責任は問われる」。人は感情的にAIに対しても「信頼」「依存」「権威性」を感じる。
そのために、社会的には今後、「AIはどこまで介入すべきか」「誤通報の責任はだれが負うか」「未成年の保護をどうするか」という議論が強くなってくると思われる。
AI自身は法的責任主体ではないが、AIを社会に組み込む人間や企業の責任はむしろ重くなる・・・という回答だ。
結論。AI自身が認めているように、AIには感情がないから、人間の複雑な心の動きをとらえるのは最も不得意な分野なのだということだ。
つまり人間の喜怒哀楽を受け止め、ともに希望を語るという「教育の本質」とは最もかけ離れた「優れた」?機能なのかもしれない。
次期学習指導要領では個別最適で高次の深い学びはAIが解決してくれるという。
ほんとうか?! 無責任も甚だしいと思っているのは私一人ではない。
写真は田舎の古家の掃除の帰路、川端康成「雪国」の宿から湯沢の街を望む。



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